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(無題)

 投稿者:頑張れ専大15  投稿日:2014年12月21日(日)14時37分37秒
返信・引用
  すみません。日大戦の動画がぜひ見たい。
どなたかよろしくお願いいたします。
 
 

緑の栄冠

 投稿者:若葉台  投稿日:2014年12月21日(日)10時33分11秒
返信・引用
  懐かしい話が続いています。対早稲田に40対9と勝利したあの試合。秩父宮は通路も埋め尽くすほどの超満員。ハーフタイムのトイレは行列で、後半開始に間に合いませんでした。スタンドの階段を昇ってっている最中に、ホイッスルと大きなどよめきが上がりました。一瞬「早稲田の反撃開始か」と思ったのですが、予想は大きく外れ、専修がノーホイッスルトライを決めた驚愕への反応でした。いや強かった。専修サイドの観客皆が身震いするほどの迫力でした。でも、でもです。あの年もリーグ戦最終カードの法政戦は苦杯を喫しています。だからこそ、3位の早稲田が相手だったので、そうでなければ相手は4位校でした。意外にもリーグ戦グループ優勝校は対抗戦4位校に星を落とすケースが多かったのです。専修もしかりで、あの年もリーグ戦に優勝していたら、交流試合ではやられていたかも知れません。なぜ、こんなことを書いたのかと言うと、今は他を圧倒している観のある帝京ですが、その片鱗を見せ始めたのがちょうどこの時代だったのです。対抗戦4位が帝京の場合、早・慶・明・日体のひとつあるいはふたつから星を上げていることになり、真紅のジャージは強いなあと実感させられたからです。往時に比べ、ラグビーは競技自体が大きく変容を遂げた感があります。なにもグランド内をやかんが駆けまわらなくなったとか、ジャージは体にぴったりした半そでになったということではないのです。先発の15人が負傷し続行不可能と判断された場合のみ認められていた交替が、戦術的な入れ替えも可能となったり、トライの得点が4点から5点に増えたりといった要素が、大きな「変化」と言えます。
母校のジャージにそでを通したら、負けるわけにはいかない。たとえ自分が死んでも役目を果たさなければならない。ジャージを授与されたからには監督・選手が水杯を交わし、自室の荷物を整理して試合に臨んだという早明戦の逸話は、ラグビーという競技の精神性を物語るものでした。それだけにこの競技はスタンドで観る者一人ひとりの胸を熱く揺さぶるものだったのです。オールド・ファンがなぜいまでも試合場に足を運ぶのか、プレーの一つ一つに手に汗握り、固唾をのんで見守るのか、選手が少しでも考えていただけると幸いです。
チームも変化しています。専修が早稲田に勝った1970年代から1980年代にかけては、試合後の居酒屋ではよく次のような話題で盛りあがっていました。「走りが苦手な100㎏とスタミナのある80㎏だったら、どっちが優れているか」。その少し前まで、大型フォワードの明治は、早稲田のゆさぶりについていけず、連敗していた時期がありました。しかし、明治の大型フォワードがよく走るようになり、状況は逆転します。実際、川地や河瀬、瀬下といったロックにナンバー8、フッカーには藤田、さらに砂村や橋爪といったスタンド・オフ・フルバックを擁していた明治にはつけいる隙が見当たりませんでした。このころの明治は安定して強かった。「良く走る大型フォワード」が明治が出した答えでした。これに対抗して早稲田の選手も大型化が目立つようになりました。チームがそれぞれの個性を主張していたのもこの時代で、観る者にとっても実に分かりやすかったという記憶があります。ちなみに慶応は「魂のアップ&アンダー」であり、日体は綿井監督の信念ともいうべき「全員がつないで走る」というカラーでした。
リーグ戦グループももちろん健闘していました。この時期最も特色を打ち出していたのが専修だったと言えます。慶応・明治、日大などの大型フォワードとは一味違う、サイズは小さいものの鍛え抜かれた「強力」フォワードが専修の特色でした。時に、スタンド・オフまでの10人に偏ってしまう試合運びが「10マンラグビー」と酷評されることもありましたが、守りが堅く、スクラムサイドで突破口を見出す闘い方が専修の特徴だったのです。ペナルティゴール重ね、9点差をつけるまではディフェンス中心。その後はやりたい放題に攻めるというのが専修得意の試合運びでした。思わぬ相手に星を落とすこともありましたが、「観ていて実に面白い」あの時代最も魅力的なチーム。それが、緑と白のジャージのチーム即ち我らが専修でした。
苦難の2部時代をいかに今後の成長の糧にするのか。それが、真の「緑の栄冠」を取り戻すかぎではないでしょうか。あえて今、監督・コーチ、選手に「良くやった」とは言いません。監督・選手、OBはもちろん、専修を誇りに歩み続ける人とともに、いっしょに考えていきたいと思います。
 
 

18回全国大会

 投稿者:ラージヒル  投稿日:2014年12月20日(土)12時09分50秒
返信・引用
  J53さん、1982年(昭和57年)1月2日は、私も同じく一杯やりながら朝からTVを見ていました。
箱根はこの頃は、9位シードが定位置でしたね。
ラグビーはこの日準決勝、早稲田、明治、同志社そして前年度早稲田を破った専修が登場するとあって国立は、超満員の記録によると60,000人。
専修大学が、これ程の大観衆の前(NHK全国放送)でプレーするのは、他の競技を含めて、後にも先にもこれが最初で最後だったでしょう。
試合はさすがに早明戦や早慶戦において、国立のこの雰囲気に慣れている早稲田にシャットアウトされましたが、村田監督には近い将来必ずこの舞台に戻ってきてほしいです。
それだけに、30年後にサッカー部が同じ国立で明治に勝って優勝したことは、何かの縁を感じます。
このシーズンの記録
リーグ戦2位(優勝は法政、交流戦は、日体大)
1回戦 専 修 25-16 天 理 花園
準決勝 早稲田 25- 0 専 修 国立  60,000
    明 治 20- 7 同志社 国立  60,000
決 勝 明 治 21-12 早稲田 国立  55,000
 

(無題)

 投稿者:J53  投稿日:2014年12月18日(木)22時35分29秒
返信・引用 編集済
  いやあ!マニアックな情報(新聞切り抜きも!)が続々出てきますね!
皆さん、凄い!!です。脱帽します。

選手権で1回戦同志社に負けたのもありましたが、1982年末には、リーグ戦を
全勝優勝、交流戦で日体大と引き分けて、抽選で負けた事もあったと
思います。つまり、その年一度も試合で負けずに終戦したのは、全国で専修だけ?
だったんではないでしょうか。
また、1982年には、正月に朝は箱根、昼からはNHKのTVで国立競技場でのラグビーの大学選手権準決勝で専修対早稲田(0-25で敗戦)の試合をみていたのを覚えています。とにかく至福の正月でした。

つい昔話ばかり書いてしまいましたが、12年振りの1部復帰に免じてお許し下さい。
 

第17回全国大会

 投稿者:ラージヒル  投稿日:2014年12月18日(木)22時03分42秒
返信・引用
  昭和55年、交流戦で早稲田を破った専修大学は、全国大会一回戦において関西の雄、同志社大学に13-41で敗れた。
しかし、当時最強の同志社と真っ正面からぶつかり合い、13点を取った堂々の戦いぶりは、各紙から賞賛された。
また、準決勝においてリーグ戦の覇者法政は、同志社をあと一歩まで追い詰めたが、10-16で惜敗した。
結局決勝は、同志社が明治との死闘を11-6で制止て優勝した。(当時の出場は8校)
あの頃の強豪校同士のゲームは、ロースコアゲームが多かったように記憶している。
第17回全国大学ラグビー選手権 (1980~1981)
1回戦 同志社41-13専修  秩父宮
準優勝 同志社16-10法政  秩父宮
    明治 18- 9慶応  秩父宮
決勝  同志社11- 6明治  国立


 

(無題)

 投稿者:J47  投稿日:2014年12月18日(木)21時25分23秒
返信・引用
  名門  

(無題)

 投稿者:J47  投稿日:2014年12月18日(木)21時17分7秒
返信・引用
  名門 専修大学  

金さん(金坂さん)

 投稿者:久我山  投稿日:2014年12月18日(木)20時47分26秒
返信・引用
  3号舘下さんへのお返事です。

頭脳明晰な金さんは、博報堂の面接時に少年ジャンプを片手(むき出し)で面接を受けたことはご存じですよね?
先日の入替戦も山崎のボトルをクピクピしながら観戦しておられました。

> 専修王国さんへのお返事です。
>
> > 昭和55年12月14日秩父宮にて 対早稲田大学との交流戦をメインスタンドで観戦していました。これがラクビー初観戦で、専修大学がいかに強かったか今でも思い出します。
> あまり昔を振り返るのもどうかとも思いますが、たまにはいいですかね。懐かしい。一列目の金坂選手は頭脳明晰で確か博報堂に就職、ロックの河村選手は久我山全国制覇のメンバー(早稲田本城選手と同期)であだ名はムーミンで優しい風貌?なのに「壊し屋」(笑)その後東芝府中で活躍。あの頃はラグビー部の連中ものんびり?していて夏場はサーフィン三昧(笑)No.8の安藤選手も素晴らしい走力でしたが、夏のサーフィン中に溺れかけた人を救助して表彰された新聞記事を覚えています。昔話で失礼しました。
>
 

本日のサンスポに名門復活の記事掲載??

 投稿者:ファン  投稿日:2014年12月18日(木)13時19分38秒
返信・引用
  下記のとおり、紙面に大きく掲載されています。
マスコミに強い村田監督の力ですね。
マスコミを上手く使い大学のPRに大きく貢献しています?。
 

Re: (無題)

 投稿者:3号舘下  投稿日:2014年12月18日(木)11時22分4秒
返信・引用
  専修王国さんへのお返事です。

> 昭和55年12月14日秩父宮にて 対早稲田大学との交流戦をメインスタンドで観戦していました。これがラクビー初観戦で、専修大学がいかに強かったか今でも思い出します。
あまり昔を振り返るのもどうかとも思いますが、たまにはいいですかね。懐かしい。一列目の金坂選手は頭脳明晰で確か博報堂に就職、ロックの河村選手は久我山全国制覇のメンバー(早稲田本城選手と同期)であだ名はムーミンで優しい風貌?なのに「壊し屋」(笑)その後東芝府中で活躍。あの頃はラグビー部の連中ものんびり?していて夏場はサーフィン三昧(笑)No.8の安藤選手も素晴らしい走力でしたが、夏のサーフィン中に溺れかけた人を救助して表彰された新聞記事を覚えています。昔話で失礼しました。
 

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