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ラブ・ストーリー縲恟ャ田和正ソングブックでも

 投稿者:杉山  投稿日:2011年 5月19日(木)21時42分31秒
返信・引用
  :.出:.会:.い:.系:.が:.月:.額:.制:.一:.択:.な:.理:.由:.ブ:.ス:.を:.セ:.ッ:.ト:.プ
:.レ:.イ:.で:.騙:.し:.て:.ヤ:.る
↓↓↓
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造幣局桜の通り抜け

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2010年 4月22日(木)09時18分55秒
返信・引用
  下記アドレスをクリックしてください。
写真上でクリックし、最大化し、矢印で順にページをめくってください。

http://www.myphoto.home.ne.jp/shared/d/27FfKqbiEqn7iwmnro1lfDYRIAJq

 

二上山に咲く満開の桜

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2010年 4月12日(月)22時06分28秒
返信・引用
  二上山へ何度も登ったが、こんなにきついコースは初めてだった。
これは老いたる体力のせいかもしれない。
近鉄橿原線の磐城駅から古い町並みが残る竹内街道を通って二上山と葛城山との
間にある峠(平石峠)まで上りの連続、吐く息はハアハア。
今度は折角上ったのに上ったり下ったり、ようやく大阪府と奈良県の県境である竹内峠に。
ここからが急な上り、足の短い私には至難の業。一段一段が届かない位に急である。
股が張り裂けるのではと思うほど、急だ。ところが二上山に近付くにつれて、満開の桜が
私たちを歓迎してくれた。鶯も。心もルンルン気分になってきた。

頂上近くのベンチで弁当を食べる。下界が見える。
PLの塔、目を凝らすと大阪市内のビル群が見える。
二上山の頂上まで3時間もかかって登ってきた。
頂上には、小学校低学年の子どもたちもいた。
彼らは万葉の森から登ってきたのだろうか。それでも雄に1時間はかかるだろう。
頂上に咲く桜にうっとりとしてしまった。
こんな美しい桜は、初めての気がしてきた。
雑踏の中の桜より、空気の澄んだ山の頂の桜の方が数段美しく見えるせいかもしれない。
その時の写真は、下記アドレスからご覧ください。
大阪城の桜と同様に@myフォトに収めています。
腕の未熟は、桜に免じてご勘弁を!
最初の写真をクリックしていただき、右に出ている矢印をクリックしながら
連続してご覧ください。

http://www.myphoto.home.ne.jp/shared/d/3SKXbmkzqapRrhhIpjFubYjdpIkm

 

つい歩いてみたくなる桜並木

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2010年 4月 5日(月)06時51分19秒
返信・引用 編集済
  何処も桜が満開。4月3日大泉緑地公園から當麻寺までの片道25kmを往復する
「12時間50kmウォーキング」に参加しました。
今回が8回目の参加でいつもながら馬鹿な企画に乗ってしまいました。
大泉緑地公園を朝の8時にカウントダウン(・・5・4・3・2・1・0・スタート)とともに
総勢400名を超す参加者がスタートしました。胸には黄色いゼッケン。
天候は晴れ、絶好のウォーキング日和。
大泉緑地公園をスタートして府道12号線(堺・大和高田線)をひたすら東へ。
高見の里・河内松原・恵我ノ荘・高鷲・藤井寺・土師ノ里と近鉄沿線沿いを歩く。
10km地点が石川に架かる石川橋。やっと車の行き交う府道から解放された。
石川の堤防沿いを歩く。遠くに二上山の山並みが見える。あそこまで歩く。遠い。
石川の河川敷で少年野球の練習を見ながら「石川桜づつみ」に到着した。
満開である。時折強風にあおられ桜吹雪となって私たちを歓迎してくれる。
びっくりしたのは、パソコンボランティアでご一緒しているNさんにお会いしたことである。
来年はご一緒に歩きましょうね。

石川桜づつみ (時刻10:07分)




石川桜づつみ (時刻10:13分) 仲間たちの歩くスピードは順調である。




石川桜づつみ (時刻10:14分) 最高のロケーション




石川桜づつみ (時刻10:16分) 仲間に記念撮影を薦める




石川に架かる「新大黒橋」を渡り、味気ない府道27号線から別れて「太井川」沿いを歩く
(時刻11:20分) 石川河川敷の中間点(12.25km)で休憩し過ぎたようだ。
この川沿いも桜は満開である。




上之宮太子中学校の桜も満開である。 (時刻11:29分)




美しい竹内街道の面影が残る街道を登ると20km地点「近つ飛鳥の里道の駅」に到着した。
(時刻 12:05分)スタートしてから2時間。少し休憩してスタートする。




ここからがこのコースの難所である。国道166号線を行き交う車。
狭い歩道を奈良県との県境竹内峠を登って行かねばならない。
ただ心を癒してくれるのが左手に見える二上山の雌岳。頂きの下に鉢巻をしたように見える桜並木。
ようやく国道とも別れて、「瓦堂池」に到着した。池の畔に咲く桜も満開である。
ここに来ると、當麻寺を折り返してくる仲間に出会う。
(時刻 12:53分)




25km地点の當麻寺に到着したのは13時05分だった。約5時間で歩破した。
昼食後、本堂の御参りし後半25kmに挑戦する。(時刻 13:17分)




折り返し後、次々と中間点を目指す仲間たちに出会った。お互いに「お疲れ様です」の
言葉を掛け合う。
中にはお父さん・お母さんに連れられた小さな小学生も25km地点に向かっている。
當麻寺をスタートして竹内峠までの登りはきつかった。足の運びがスムーズにいかない。
多くの若者に追い越された。でもヨレヨレになって足を引きずりながら歩いている青年も居る。
ようやく元来た石川桜づつみに到着した。時刻は(15:56分)だった。
土師ノ里からの残り10kmがしんどかった。我が家の恵我ノ荘駅近くを通過したのは
5時頃だった。一層のこと、このまま家に帰りたい心境だった。
大泉緑地公園にゴールしたのは、幾らか陽が残る6時20分だった。
私がもらったカードには到着順位 97番が記されていた。
「50キロ完歩 おめでとう! あなたの挑戦への勇気は、完歩によって自信につながりました」
と書かれていた。70歳を過ぎたオッサンが50kmを歩くなんて健康に感謝しなけりゃあと
思う瞬間でもあった。
一緒に参加した仲間の一人は、私がゴールして20分後にゴールしてきた。
後の初参加の二人は20km地点でリタイアしたようだ。

 

花博記念公園へ行ってきました

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2009年12月 6日(日)22時45分2秒
返信・引用
  大阪城公園をスタートし、城北運河から花博記念公園へ。
昼食後、淀川河川敷を歩き毛馬の閘門から大川を下りJR桜ノ宮駅までの
約21kmのウォーキングでした。
下手な写真で恐縮ですが、懲りもせず投稿しました。
皆様からの投稿をお待ちしています。

大阪城公園駅の高架橋から西を望む




寝屋川に掛かる片町橋の上から大阪城周辺のビル群




大川沿いの毛馬桜之宮公園から東に折れて城北運河を東へ向かって歩く




花博記念公園入口近くの城東区関目付近の街路樹




花博記念公園大池








淀川河川敷に広がるワンド 菅原城北大橋付近




詳細は、下記私のブログのページをご覧ください。

http://blog.zaq.ne.jp/ponchan/article/1992/

 

おまけです

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2009年12月 1日(火)22時00分46秒
返信・引用 編集済
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http://blog.zaq.ne.jp/ponchan/article/1984/

 

紅葉の錦帯の上を歩く

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2009年11月30日(月)07時55分57秒
返信・引用
  今月最後の日曜日(11月29日)、みなみかわち歴史ウォークに参加しました。
紅葉した山々、寺院の境内の美しい楓。嫌なことも忘れ去る瞬間でもありました。
今しばらく、私の歴史ウォークにお付き合いください。

弘法大師が地蔵菩薩を刻んで安置したのが起源と伝えられる延命寺。
紅葉の名所として有名なお寺です。

《延命寺》














奈良時代に役小角(えんのおづね)が草創し、弘法大師の弟子実恵(じきえ)が創建した観心寺。
南朝ゆかりの寺であり、楠木正成幼少の頃の学問所としても知られている。
梅や紅葉の名所でもある。

《観心寺》






楠公夫人が、夫・正成の湊川戦死と、その子・正行の四条畷討死の後に出家し、草庵を結んで
一族の冥福を祈ったところ。紅葉の名所として知られている。

《楠妣庵観音寺》





詳細は、下記アドレスから私のブログページにご招待します。

http://blog.zaq.ne.jp/ponchan/article/1984/

 

卑弥呼の宮殿跡(纏向遺跡)に行ってきました

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2009年11月20日(金)07時47分23秒
返信・引用 編集済
  奈良県桜井市の纏向(まきむく)遺跡の中心地で3世紀前半の建物群跡が見つかった。
その様子はマスコミに大々的に報道され、ご存知の方も多いのではないかと思います。
考古学ファンの端くれである私は居ても立っても居られず、14日行われた現地説明会に行ってきました。
今回確認された建物もこれまでに確認されている建物や柱列(柵)などと方位およびその軸線を揃えて構築されていることです。
推定される建物群の軸線は東西方向に通るもので、方位は建物・柱列(柵)などすべての構造物が真北に対して
約5度西に触れた方位に揃えて建てられている画期的なことです。
昨今は、建物の方位を気にしながら建設するが、弥生時代、古墳時代の初めに方位を考慮して
建物群が一本の中心線で結ばれていたとは驚きである。
ここ纏向は古墳時代幕開けの場所としても知られている。一帯には、卑弥呼の墓だと言われている箸墓古墳(全長280m)や、
朱塗りの石室が見つかった桜井茶臼山古墳(全長200m)をはじめ、多くの巨大な古墳が存在している。

私は午前中PC教室のサポーターを終えると、昼食を食べる時間もないくらい急いで、考古学ファンの中村さんと藤井寺駅で落ち合い現地へ向かった。
昼食は藤井寺駅のプラットホーム中ほどのベンチで。
近鉄吉野線高田市駅で下車、JR高田駅まで歩いてJRに乗ろうとしたが発車した後。
1時間も待たされた。1時間に1本しかない。
「駅探」で検索して出かけたが、両駅間の徒歩16分は無理だった。幾ら私が早く歩いても。
不便なJR桜井線巻向駅に到着したのは午後2時30分頃だった。受付には長い列、そこで足止めを食い、
いつになったら現地を見学できるだろうかと不安でもあった。だが、受付に何と「卑弥呼」が現れたではないか。まさか!! 目を疑った。
卑弥呼という名のお酒を売っているオバちゃんたちでした。



遠くに現地の見学者の姿が見える。40分余り待たされただろうか。待つ列の足元は昨夜来の雨でぬかるみ、靴・ズボンもドロドロだ。
幸いには今は青空が顔を出す好天気。

現地に建てられた柱跡の黄色い杭、弥生時代のロマンを感じざるを得ない。
4間四方の南北19.2m×東西12.4m、床面積238.08㎡と3世紀中ごろまでの建物遺跡(建物D)としては国内最大規模である。
その規模から居館域における中心的な役割を果たす建物の一つと考えられると説明書には遠慮がちに書かれているが、
卑弥呼の館そのものだろう。

下記は神戸大学建築史研究室 黒田龍二先生の復元案である。上図が東から見た建物図、下図が南から見た建物図。高さは10mくらいと想像される。



復元された建物の模型。右から大きな建物が建物D,その左が建物Cと一直線に並んでいる。



下記写真は(建物D)。説明者が向いている方角は西。





柱材はすべて抜き取りが行われ、柱穴内に残っていなかったが残された柱の痕跡からその太さは32cm前後のものと推定されます。
主柱の中間は南北間で4.8m前後、東西間で3.1m前後のなると考えれれるが、南北の主柱穴間のほぼ中央には径40cm前後、
柱の太さ約15cmの円形柱穴が検出されており、建物の床を支える束柱であった可能性が高いと考えられている。

下記写真は東方向から建物Dの北方向を見る。



下記写真は古墳時代後期埋没の石貼り溝。北から南を見る。右の黄色い杭が建物C跡。
南北約8m、東西5.3m跡。



JR桜井線の巻向駅のプラットホームから発掘現場を見る。もう薄暗くなってきた。



現地で桜井市の職員の説明を聞くにつけ、最古の巨大建物跡の発掘により、邪馬台国の存在はこの地であることが明らかになった気がする。
近くにある箸墓古墳は、間違いなく卑弥呼が葬られているだろう。


最近、皆さまからの投稿が少なくなってきました。ホットなニュース、写真等を是非投稿してください。

下記は初期ヤマト政権大王の墓とも言われる朱塗りの石室 が見つかった桜井茶臼山古墳見学会へ行った時の写真です。私のフォトアルバムです。

https://member-blogari.zaq.ne.jp/ponchan/photoalbum/?id=thumbnail.21191.

 

金剛山があなたを呼んでいる

 投稿者:ポンちゃん  投稿日:2009年11月 9日(月)15時57分4秒
返信・引用
  紅葉の季節となりましたね。
黄色く色づいた山々を見ていると心が洗われる感があります。
4日前にJ:COMのいきいきプロジェクトチームの仲間たちと金剛山に登り、
昨日(11月8日)また、南海電鉄主催のウォーキングイベントに参加し、再度金剛山へ登ってきました。
黄色く色づいたブナ林の登山道、黄色く染めた遠くの山々、是非あなたも金剛山へ。
下手な写真ですが、幾らかでも自然の臭いをかいでください。

































あなたも、是非素敵なアルバムを提供ください。
詳細は、ブログをご覧ください。

http://blog.zaq.ne.jp/ponchan/article/1959/

 

平城宮跡へ行って来ました。

 投稿者:tn-green  投稿日:2009年11月 9日(月)13時40分56秒
返信・引用
   11月7日、好天に誘われ平城宮跡へ行ってきました。帰宅直後に夕刊を見る
と復元工事中の大極殿が姿を現したとの記事。早速誰かに知らせたくなり無意識
にこの掲示板に飛びついていました。
 まだ周囲を囲いながらの工事中ではありましたが正しく既設の復元朱雀門より
大きい色鮮やかな大極殿の堂々たる雄姿が北側に建ち、南に対面する朱雀門との
立体性が際立って来たのではないでしょうか。偶然ですがタイムリーなタイミン
グで見ることができ嬉しさを隠せず投稿した不純な動機、お許し下さい。
 来年は遷都1300年の記念行事も企画され、また今回ついでに回ろうとして
見つけきれず断念した仲哀天皇のおじさんに当る成務天皇陵を含め近くには佐紀
古墳群等遺跡も数々ありますので又行ってみようと思っています。
 

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